本年度の調査は、平安時代から鎌倉時代にかけての、寺院建築における、各種の技法調査を行なった。 発見が多かったのは、平等院鳳凰堂、東寺の鎌倉再建の門、広隆寺桂宮院本堂、般若寺楼門である。平等院鳳凰堂中堂は、三手先の組物を使うが、組物が母屋柱の上に乗っているので、両側面中央の組物は梁がかからない位置に来る。これは日本の古代建築において極めて例外的な処置である。中国では柱上の組物の間に同じ外観を組物を置くことが、遅くとも営造法式(1100年)までに成立していた。平等院はそれとは異なり、天秤状の組物ではあるが、母屋だけの建築の三手先を乗せたために起きた、興味深い現象と思われる(通常、母屋だけの建築は、余り高級ではないので、三手先を使うことはない、平等院の例は、例外として考えても良いかもしれない)。また翼楼の端は片蓋の虹梁となっていることはよく知られているが、見せかけの技術は他にも多い。平等院鳳凰堂は、特殊な形式をとったために、様々な技術開発が行なわれたと考えてもよい。 東寺の鎌倉再建にかかる八脚門は、妻側の梁を内部では別の形に造り、桁の表現に使っている。外観は古代的であるが、構造が中世的である門の形が開発されていった様子がわかる。広隆寺桂宮院本堂は、貫を用いるが、内法貫と腰貫の間に縦の束をいれ、巧妙な見せかけの窓枠を造る。貫が入ってまもなく登場する、和様系のデザイン技術と認められる。
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