本年度は大阪府、和歌山県、兵庫県を中心に、浄土真宗本堂の遺構調査と関連資料調査を行った。遺構調査は、とくに内陣仏壇廻りの改造、丸柱の普及度、外陣中柱とその架構に注目した。 内陣仏壇形式については、17世紀中は、別院や特別な由緒を持つ有力寺院をのぞくと、後門形式はほとんど見られない。一般末寺では、かなり高い寺格の大型本堂でも三つ並び形式としている。17世紀の段階では、仏壇形式について意図的に別院クラスの寺院と一般末寺との間に格差を設け、教団ないの秩序を維持していこうとしたことが推測できる。18世紀に入ると、一般末寺でも当初から後門形式をとるケースが増えてくる。その変化は18世紀中期の宝暦年間頃に現れ、中位の寺格をもつ寺院では急速に広まる。しかし界の寺院では後門形式の普及の速度は遅く、19世紀に入ってもなお当初は三つ並び形式の仏壇とする例が多い。 下陣中柱と架構については、地域による傾向の違いが見られる。下陣奥行き4間の場合、滋賀県では中柱を左右2本づつ立てるという定型の架構形式が見られる。三重県では、中柱1本づつとするのが一般的である。和歌山県では、下陣奥行きを二等分する位置に中柱を立て、その前後にのみ虹梁を架ける形式が多い。 丸柱については、大阪府や奈良県では使用率が低く、福井県や和歌山県では使用率が高い傾向を見せる。こうした違いが生じた理由については判然としない。今後の課題としたい。
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