本稿は東日本各地の市場集落やその町続きを取り上げ、市場集落の空間構成を復原的に明らかにした上で、常設店舗の成立過程に着目して、東日本に特有の町家形式の形成過程を史料と遺構から検討した。 その結果、まず市の際の市見世は路上中央、町家前面(庇下など)、町家内部(内見世)などに設けられ、このような市見世の営業形態には地域を越えた類型が認められることが明らかとなった。また、市町では、常設店舗(定見世)を持つ町家も少なくとも17世紀末にはすでに成立していたものの、在方の市町では、近世末期に至っても定見世は少数に留まり、商業形態の主体は市見世であった。しかも、定見世は他村の市日には下蔀を閉じさせられるなどその営業が制限され、商売は市場に出て行うことが定められるなど、市見世と同様の扱いを受けていたことも知られた。 また、18世紀後半以降、街道に面する在方農家が常設店舗を備えて町家化し、商業機能が農村部へと拡張され、新たに町続きが町場化される経緯を明らかにした。さらに、幕末期の信濃国旧原村を取り上げ、市を持つ在方集落の家屋構成の検討を通して、市町といっても店を持つ家屋が半数に満たず、店を持たない家屋と両者が併存すること。店を持つ家屋の中には、店を後に増築したものも含まれることなどを明らかにした。また常設店舗を持つ町家は、農家型住居を基本として成立したことも示した。 さらに、永井野村(福島県会津高田町)を取り上げ、文政年間の史料と18世紀中期以降の各遺構における店空間の年代変化を通して、在方集落における農家から町家への形成を具体的に示し、町場形成の一端を明らかにした。つまり、19世紀初頭以降、店を新たに増築したり、街道沿いに店をもつ家屋を新築する例が文献から多数見いだされた。現存遺構からも、店をもつ家屋の成立は19世紀初頭以降であることが確認された。ただし、店空間の成立過程は一様でなく、差し掛け型の店を始め、直屋のまま一角に店を取り込む例や、鍵屋状に店を突き出すものなどを経て、幕末期に店棟造りが成立することを示した。以上、在方集落における町家形成は、店舗商業の発展と一体に進展したことを明らかにした。
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