わが国の中・近世期の金工品は、古代の金工品ほどこれまで注目を浴びてこなかった。明治時代から始まる近代の技術革新を可能にした背景には、近世における手工業的金工の存在があったことが忘れられてきたのである。本研究では、中・近世期の遺跡から出土する金工品の材料と製作技法を材料科学的な手法で探り、わが国における金工技術の歴史的変遷を明らかにすることを目的としている。本年度は、わが国の中世期を代表する遺跡である広島県草戸千軒町をはじめ、広島県吉川元春館跡、奈良県興福寺南円堂(江戸時代改築)など、時代の特定できる遺跡から出土した小柄などの刀装具や寺院の鎮壇具、さらにはキセルなどの日常品に至るまで金属でできた製品の調査を行った。その結果、これまで使用開始時期が確定できていなかった黄銅(銅と亜鉛の合金)が、16世紀後半にはキセルなどの日常品にも使われ出したことがわかった。黄銅は、合金の配合比によって色が変化することでも知られているが、江戸時代に金の代用として用いられたことも明らかになった。また、江戸時代に黒い表面を持つ合金として重用された赤銅(しゃくどう:銅と金の合金)と見られる合金が、小柄に使用された一番古い事例(16世紀後半)を見出すことができた。中・近世においても、金属接合技術として鑞付けが行われ、鑞材に低融点の錫系の合金が用いられた事実は、古代の鑞材が銀系(銀と銅の合金)であることと比較して興味深い。今後さらに、調査事例を増やすとともに、わが国の金属材料技術史を体系化していきたい。
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