最近、中・近世期の遺跡が発掘される機会が多くなるにともない、古代においてはみられないさまざまな遺物の出土が認められるようになってきた。中でも、キセルや鉄砲金具など金属製の遺物の中には時代を的確に反映したものも多く、金属材料の歴史を考える上でたいへん興味深い。しかし、ほとんどの遺物は出土後、しっかりとした調査もおこなわれないまま収蔵庫に入れられるのが現状である。本研究では、これら金属製遺物の材質と製作技法を科学的に調査し、材料の歴史的変遷と製作技術の流れを読み取ることを目的とした。銅製品の中でも銅塊から鍛造で作る板状のものは、古代にはほとんど銅製であったが、近世期になると亜鉛を添加した「黄銅」が使われるようになってくることがわかった。また、鋳造製品は古代には(銅-スズ)系の「青銅」に鉛やヒ素を含む合金が主流であったが、近世になればやはり「黄銅」の需要が大きくなることがわかった。また、銅に少量の金を添加した「赤銅(しゃくどう)」と考えられる合金も確認することができた。江戸時代においてはこれらの合金は色を意識して「色金(いろがね)」と総称されていた。今回の研究で、出土遺物から色金の存在を確認できたのは大きな意味があろう。本研究の成果から、わが国における中世から近世にかけての金工技術は、前近代的な技術と単純に割り切れるものではなく、製作するものに合わせて合目的的に選択された材料を用いる高度な技術の集積であったと判断することができる。明治時代以後の近代工業化を円滑に推進するに十分な潜在的原動力を近世金工品の材料選択と製作技術に認めることができると考える。
|