初年度はとくに以下の3点について中間的な整理を行った。 (1)土地管理主体について。大正期に全国で200を超える土地管理組合の設立が報告されており、1938年の農地調整法原案にも産業組合による土地管理構想がもられているが、それは結局ひの目をみることなく葬り去られた。かわって、農地委員会(農地委員会)による土地移動等の監督が行われるが、それはどの点において先の構想を継承し、どの点において断絶したものであるか。戦後農地法とは異なる別の農地管理構想はありえたのか。ありえたとすれば、如何なる形態が考えられるか。(2)共同組合構成員と活動内容について。戦前期産業組合の組織率が昭和初期に急上昇したのは、個人加入とともに法人加入の道を認め、自然発生的に組織されつつあった種々の農家小組合を農事実行組合として法人化して、いわば集落丸ごとの加入を実現したからである。かかる前史を背景に持つ戦後農協法制定時における農事実行組合加入構想を如何に評価するか、あるいはこのことが、戦後日本農業の形態をどのように規定する事になったか。(3)技術の発達にともなって、個と集団の関係はどのように変質し再編されるか。この点については、宍道湖周辺農業兼業漁家について聞き取り調査を行い、農業技術の発達と漁業技術の発達が、先の論点に具体的にどのような影響を与えるのかを具体的に分析した。また『小作慣行調査』を整理し、大正期の農業技術の特徴と「個と集団」との関連について一定の整理を行った。
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