1)これまで集めることのできた久原躬弦(安政2年11月28日〈1856年1月〉〜大正8年11月21日〈1919年〉)および久原茂良(安政5年6月8日〈1858年〉〜昭和2年5月6日〈1927年〉)の書簡について、不明の分の調査は概略終り、再チェックとワープロによる印刷(の準備)を進めている。目下進行中である。追加分を含めて書簡の実物の返却を急がねばならず、写真複写は終了。 2)顔写真については、借用したものの複写と照合および解析を行って、これもほぼ終ったが、内容の解析がまだ完了していない。不明な人物が残っている。 3)日記については、膨大なため、まだ複写が終っていない。解析は概略終了。 4)久原家系図については、充実はしたがまだ不完全部分がある。 5)久原輝夫氏(久原躬弦の孫)については、東京工業大学時代の建築学科の同級生でご存命の3人の方との連絡がとれ、特にそのうちの一人の方には会うことが出来、在学中のことなどをうかがいテープに収録できた。久原輝夫氏は、第二次大戦中に戦死された。戦死された状況については未だ明らかになっていない。 6)久原家の全体についての歴史の執筆は、進行中であるがまだ出来上っていない。 7)久原清子さん自身の生涯については、資料は集ってきたが、まだまとめきれていない。 8)津山に於ける久原甫雲良賢宗清(1720年没)から今日に至る久原家の歴史の執筆は道半ばであり急ぎたい。
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