ラヴォワジエが蔗糖の定量分析の際使ったエタノールの分析データが、いかにして得られたのかをまず調べた。彼は、1783年に大気中でエタノールの燃焼実験を行い、二酸化炭素と水の生成を定性的に確認し、水のできる割合をかなり正確に把握した。ついで、1785年5月には、14日と16日の2回、酸素中での燃焼の定量実験を行った。両者を比較して、14日のデータの計算において、温度の補正の仕方が誤っていることが分かった。しかしながら、どちらにおいても生成した水の量の測定は行われず、質量保存則から計算されている。最終的に1784年度のアカデミー紀要で出版されたのは、16日のデータの方である。その理由は2つ考えられる。1つは、14日の実験において、失われたエタノールの量が多いと判断されたこと。2つには、16日の実験データから質量保存則を使って計算された(生成したはずの)水の割合が、1783年の時のデータと一致したことである。しかし彼は、この結果をそれほど信用はしていなかったようであり、1789年に出版された「化学要論」においては、両者の平均値を取った。 これを踏まえて、さらに「化学要論」には使われずに、出版されなかったアルコール発酵による蔗糖の分析の手稿を解析した。この分析の際、彼はエタノールの組成として、1785年5月16日の結果を利用した。内容からして、執筆時期は1788年と考えられる。出版されなかった理由は、ここで使われた1787年7月の蔗糖の分析の際の炭素に関するデータが当てにならないこと、及び蔗糖は炭素と水から成り立っているとした仮定が誤っていることが分かってきたからと考えられる。 明らかになったことは、この時期のラヴォワジエの定量実験には、かっての厳密さがみられなくなってきたことである。その原因は、フランスの激動の時期に当たり、彼には厳密な実験を繰り返す余裕がなくなってきたことにあろう。
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