1789年に出版された『化学要論』において、ラヴォワジエは質量保存則を明確な形で述べた。しかしながら、彼は既に天秤を使った精密な質量測定の際に、この原理を利用して測定結果をコントロールしていたし、出版された論文に於いても、質量保存の考えを表明していた。しかし、この段階ではまだ「物質不滅の原理」において、「物質」を「質量」に置き換えただけだったと言える。 この質量保存則の内容が深化するのは、有機化合物の定量分析を始めた頃からである。まず酸素が発見され、更に水は酸素と水素の化合物であることをラヴォワジエが確認したことから、定量分析によって、真の元素組成の割合が決定できるようになった。なぜなら、有機化合物の燃焼に於いて得られる物質は、主に水と二液化炭素だからである。定量分析に於いて、反応に加わった物質と反応生成物の両方を取り、質量保存則を適用して、それぞれ元素に分けて反応前後の質量を比較していく必要がある。彼はこの方法をエチル・アルコールと蔗糖の分析に応用し、大変な苦労を重ねて、組成比を計算した。そうであったからこそ、質量保存則が『化学要論』の「蔗糖のアルコール発酵」の章で述べられたのである。しかしながら、彼はだんだん質量保存則に頼り過ぎるようになった。即ち、反応生成物を直接測定できなかった実験に於いて、その実験をより精密にやり直す代わりに、質量保存則から逆算により数値を得るという安易な方法を乱用するようになった。そこが彼の限界であったが、そうなってしまったのも、フランス革命という波乱の時期にあって、彼には実験を繰り返し行えるような時間がとれなくなってしまったからだと考えられる。
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