本研究の目的は、社会科における環境教育の基礎に置くべき視点を環境倫理学の成果から明らかにしたいということであったが、環境倫理学の現状はいまだ発展途上で複雑多岐にわたっており、単純な整理をする段階ではないと言うべきであろう。教育界でしばしば言われているような、単純な徳目論や心掛け論に還元できるようなものでは決してない。 また、近代倫理学の枠内では済まない問題を抱えている。そのような問題に対して、近代の学問の思考方法を基本的に維持しながらアプローチできる問題であるのか、近代的思考そのものが環境破壊の根源的な原因とされるべきなのかについては、基本的な対立がある。環境思想の現在が提起するものは、そのような挑戦的にすぎる部分がある。 一方、教壇に立つ公教育の教師は、近代的思考そのものへの挑戦を児童生徒にさせてはならない立場にある。そのような現実の教師が現時点でできる環境思想への接近法は、我々の社会を現在成り立たせている原理、法的・政治的・経済的な思考方法、地理的・歴史的な思考方法がいかなるものかを身につけ、その方法を使つて、環境を見たり考えたりすることを子どもに訓練することであろう。 それは、教科を超えて総合的な学習に期待するのではなく、例えば社会科なら社会科に課せられた教科の任務に深い理解と洞察を得る方向性である。教科が担ってきた教育上の価値をより発展させることである。 その方向で、小学校社会科における環境倫理の教材化の例と、教科書や実践例におけるゴミ問題およびゴミ学習に関する取り扱い方の事例研究を示した。「すぐれて社会科的な道具」としての環境倫理の活用法の事例となっている。
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