本研究は、北宋時代における哲学概念としての「公」が社会的、政治的な場面においてどのような役割を担うものであったのかという点について明らかにすることを目的とする。この目的を果たすため、具体的には(1)北宋期思想史関係の文献の整理、(2)「公」の用例のデータベース化、(3)「公」観念についての分析検討の業務を行った。(2)の作業については、コンピュータおよび周辺機器を購入できたのが7月末であった上、機器の操作への習熟に予想以上の時間を要したため、当初計画の約三分の一の文献の整理、入力ができただけだったが、幸い北海道大学中国哲学研究室の協力により、インターネットを通じて台湾中央研究院の中文全文検索系統を利用して『宋史』の公の用例を検索することができた。以上の事情により、最終的には(3)の分析検討の対象を自力で入力し得た文献(具体的には『二程集』『続資治通鑑長編』の一部分など)および『宋史』全文のみに絞ることとした。(3)では、特に程頤の公に関わる言説についてその様々な側面を取上げ考察を試みた。その結果次のような観測を得た。I「公正」を人間性の本質として理解している、II公正さは私欲の克服によって齎されると考えている、III私欲は自然の欲求の範囲を越え出た欲求を意味する、IV私欲であるか否かは作為の心の有無を基準として判断される。また程頤が主張したかったと思われるのは以下の諸点である。I君主は天下万民の共通の利益を基準として政治を行わなくてはならない、II人間は個々人として私欲から免れることは困難だが、集団を形成し論議を集約したならば必ず公なる正義が反映される、III君主は広く衆議に諮ることにより公正な政治を実現できる。こうした論調は、程頤だけでなく他の人の士によっても共有さされていたことが『宋史』の用例などからも分かる通りであり、宋代における一種の共通認識だったと言える。
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