デュルケム儀礼理論の宗教社会学的核は、儀礼の最終局面である集合的沸騰状況における、諸象徴を媒介とした聖なるものの顕現によって、社会的合一の観念が諸構成員に分有されるという点にある。ピカリングは、その集合的沸騰状況を、反復性と一回性の二類型に分類し、周期的に執行される祝祭的儀礼を前者によって、革命などの社会変動を後者によって説明する理論を提出した。またエルビュー=レジェは、「記憶」の概念によって、集合的沸騰がもたらす認知的、社会心理的な機能を摘出し、世俗化社会における宗教の私化に見られる聖なるものの回帰を説明している。それに対して、イザンベールは、民衆宗教における聖なるものの現代的な顕現が、道徳の社会的構成に影響を与えており、それが社会的統合への契機となっていることを指摘している。以上のように、今日のデュルケム派宗教社会学は、彼の儀礼理論を、「集合的沸騰」や「聖なるもの」の鍵概念としながら精緻化し、世俗化した現代社会における宗教性の社会的機能を、教団宗教だけではなく、個人的な宗教性や社会運動、民衆宗教にまで拡大する形で分析する視角を獲得している。 実際、現代フランスの宗教状況の中で、民衆宗教としてのカトリシズム運動に関しては、ヨーロッパ統合に乗じた「キリスト教ヨーロッパ」建設をもくろむ教皇の巡行やそれに伴う聖地化、および民衆の巡礼やイベントへの参加という現象の分析において、キリスト教系の新宗教運動に関しては、新たな聖性の獲得という現象の分析において、またイスラームの運動に関しては、マグレブ諸国からの移民の「想像の共同体」の構築という現象の分析において、各研究者の理論は有効である。しかし、日系やインド・アメリカ系などの外来の新宗教運動に観察されるような、宗教の多元性や多文化主義、ニューエイジなどの新たな霊性の探究といった現象の分析視角は確立されておらず、これは今後の課題である。
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