本研究では、小学校長職の成立前史・成立過程について、学制期から改正教育令期までを主として検討した。 まず学制期に関しては、学校管理状況に注目し、学区取締の補助者とされたいわゆる「学校役員」が学校内部管理を行っていたため、機能的には校長職と同様の役割を発揮していたものの、制度的にはまったく異なる存在であることを確認した。これに対し、明治10年頃に登場する「小学幹事」等の学校内部管理職は上席教員がこれを兼務し、主に目的事項の管理を行うなど機能的にも制度的にも校長職の前身にあたることを指摘し、一部の先行研究がこの時期を校長職の成立期とみなすゆえんをこの学校内部管理職の設置に求めた。 だが、明治14(1881)年に太政官達第52号において法制化された小学校長職は自由民権運動の高揚などを背景に設置されようとしたものであるため文部省は資格条件等を具体的には定めておらず、その結果、教職経験や教授能力を有していない戸長や学務委員などがこれを兼務するケースも多くみられた。つまり、さきの学校内部管理職とここで設置されることになった校長職とは必ずしも直線的には結びついていなかったのである。 したがって、結論的には本研究では明治10年頃から校長職の法的地位が確立される明治後期までを一貫と捉える連続説の立場を採用せず、断絶説の立場を主張している。すなわち、明治18(1885)年の再改正教育令により学務委員が廃止されたこと、明治19(1886)年の閣令第35号を契機として翌20年の上半期に小学校職員職制が各府県で制定されたことの2点を校長職制度(法的地位)確立の実質的な起点と捉えているのである。
|