本研究の主たる作業である「皆川家旧蔵資料」の撮影については、7月と12月の2度にわたって行ない、資料点数70点、約4300コマの撮影をすることができた。これにより、以前に撮影したものと合わせて、同「資料」の総点数約450点の点数で3割強が撮影を終えたことになる。撮影したものの整理では、皆川家が陰陽寮内で造暦の実務を執っていたこともあって、造暦の理論書や数学書および暦の計算表がその対象となった。また、「若杉家文書」については、7月の調査に合わせて陰陽寮関係の記録を中心に調査を行ない、幕末期の記録である『天文暦方御日記』と『家茂公御上洛御記録』の中に寮官としての皆川家についての記述を検出した。『天文暦方御日記』では、幕末期の皆川家の当主である亀年(ながとし)が造暦の中心的作業者であったことが窺え、また『家茂公御上洛御記録』では、将軍徳川家茂の上洛に際し、亀年が寮官として祓などの宗教的行事にかかわっていたことが記されている。「皆川家旧蔵資料」中にも陰陽道祭祀関係の資料が出てきており、これらのことから幕末期の陰陽寮が、寮官を造暦など科学技術的なものと陰陽道祭祀など宗教的なものとにはっきりと系列を分けていたのではなかったことが推定される。また、同「資料」中に『天文要抄』という天文道書があるが、これと天文密奏などに多用される『天文要録』との比較を行ない、その結果、『天文要抄』が『天文要録』の抄出にオリジナルなものを加えたものであることが明らかとなった。これについては、日本宗教学会第55回学術大会において口頭発表を行ない、また『宗教研究』311にその要旨を発表した。これらの結果、本「資料」の撮影・整理、幕末期の陰陽寮の機構解明、本「資料」中の陰陽道書の系統化、という研究の3つの柱はそれぞれ成果を収めたが、残念ながら最終的な成果は、本「資料」のすべての調査が終わることを待たなければならない。
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