本研究では19世紀後半に刊行された以下のタイトルの教育雑誌のマイクロ・フィルムを購入し、今後のテキスト分析のための予備的考察をおこなった。 Журнал Министерства народного просвещения.(文部省雑誌)1834-1873. 同誌の文献学的概観の結果は、以下の通りである。同誌は、1834年に月刊誌として創刊され、73年までに編集者の交代にもとづき5つの期間に区分して考察することができる。 第1期:ア・ヴェ・ニキチェンコ編集(1834〜1860年) 第2期:カ・デ・ウシンスキイ編集(1860年5月〜1863年) 第3期:ユ・エス・レフネフスキイ編集(1864〜1867年) 第4期:イ・デ・ガラーニン編集(1867年後半期) 第5期:ア・イ・ゲオリエフスキイ編集(1868〜1870年) 第6期:イエ・エム・フェオクチストフ編集(1871〜) このうちでロシア教育思想史上、特に重要な時期は、いわゆる大改革期と重なり、著名な教育学者ウシンスキイが編集した第2期であることが明らかになった。また、同誌は、文部省の官報的機能も果していたことから、教育法制史、教育行政史の観点から見ても重要なデータが満載されていることも明らかになった。同時に、ロシアのナショナル・アイデンティティを考察する上で、不可欠の用語である「ナロード」(国民・民族・民衆)の語義論的意味を一端を以下の論文において検討し発表した。 下里俊行「『ナロードニキ』概念の再考」(『ロシア史研究』第60号、1997年)
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