1867年カナダ自治領の成立は、「独立国家」の誕生を画するものではなかった。当時のカナダにおいて、外交におけるフリーハンドをいかに獲得するかといった制度的な側面にとどまらず、意識の面でも「国民」統合の課題がいぜん残されたままであった。本研究では、英米の影響をつねに受けていた19世紀末のカナダが、「国民」としての統合をいかに図ろうとしたのかについて、社会史的考察を試みた。 考察においてとくに着目したのが、「ロイヤリストの伝統」の主張である。これは、1870年代の萌芽的なカナダ・ナショナリズム運動である「カナダ第一運動」、1880年代のU・E・ロイヤリスト入植百年祭、1890年代末に始まる「帝国記念日」において盛んに喧伝された。この「ロイヤリストの伝統」は、アメリカ革命や1812年戦争におけるロイヤリストおよびその子孫の活躍によって親英・反米的なカナダの基礎が築かれたとするものであった。しかしながら、これには事実の歪曲、すなわちロイヤリストらの過大評価が行われていた。加えて、この伝統は、ロイヤリストの子孫とは関係を持たないその他のイギリス系カナダ人の他のエスニック・グループにも共有されることがもとめられていた。 以上の考察から、「ロイヤリストの伝統」とは、親英・反米的なカナダの国家統合を図るために、カナダ国民全体が共有・継承すべき「創られた伝統」であったとする結論を得た。加えて、本研究において、20世紀中葉までの「帝国記念日」の推移を概観することもでき、これによって、「ロイヤリストの伝統」を切り口としてカナダの「国民」統合の在り方を長期的に考察することが可能との見通しを得た。今後は、英帝国の衰退とアメリカ合衆国の台頭、イギリス系カナダ人の相対的減少などの事情を踏まえながら、カナダの「国民」統合の特質をより精緻に分析したい。
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