1.『文学論』の準備のために夏目漱石が作成した未公開のノートを調査し、その一部(「ギディングス・ノート」と「ボールドウィン・ノート」)を近く翻刻発表する。 2.ボールドウィン著『精神発達の社会的・倫理的解釈』が『文学論』第五編の「集合的F」の概念形成に深くかかわっていることを確認した。ただし、漱石のボールドウィン理解はむしろ晩年に深められている。大正2年12月の講演「模倣と独立」は、ボールドウィンへの関心の復活を示し、『心』(大3.4〜8)は、ボールドウィンの影響下に形成された新たな人間観を示している。『心』の「明治の精神」や「時勢」の語も、ボールドウィンの思想と深いかかわりがある。これらの成果も近く発表を予定している。 3.ギディングス著『社会学入門』、ギュイヨ-著『教育と遺伝』、ロンブロ-ゾ著『天才と狂気』などと『文学論』の関係も調査した。ギディングスの著書は、「集合的F」を、「模擬的F」・「能才的F」・「天才的F」の下位範時に分類することに示唆を与えていること、ギュイヨ-の著書は、「暗示」の教育学的意義を説いたものだが、『文学論』第五編の「暗示」についての記述や、「文芸の哲学的基礎」の「還元的感化」の概念に関わっているふしがあること、『文学論』の「天才的F」についての記述がロンブロ-ゾの著書の影響を示していることなどが明らかになった。 4.トルストイ著『芸術とは何か』が『文学論』の発想に決定的な影響を与えていること、『文学論』はトルストイの芸術論を心理学や社会学に基づいて科学的に把握しなおす試みという性格を持つことが明らかになった。トルストイの芸術論はギュイヨ-の芸術論とも結びついており、漱石が心理学や社会学の観点を導入したのはそのあたりから示唆を得ていたかもしれない。この点については目下考察中である。
|