本研究では、アメリカ合衆国において連邦憲法上に基礎づけられ、いわゆる自己決定権を意味するところの、「憲法上のプライバシーの権利」について、その根拠、内容及び限界を明らかにすることにより、当該権利の今日的意義と課題を総合的に探究する、という研究課題の一環として、とりわけ当該権利の現代的展開につき検討を行ってきた。その際、本研究では、当該権利が連邦最高裁判所の法創造にかかるものであって、連邦憲法上明文で保障された権利ではないという事情により、判例の背後にある個々の裁判官の動向に焦点を合わせた研究が不可避であること、当該権利の内容が、もっぱら避妊具の入手や使用、妊娠中絶の決定、猥褻物の私的所持、さらには性的自由等にかかわる点で、広くアメリカ社会のありようを考慮に入れる必要があること、等に留意してきたところである。ところで、従来より憲法上のプライバシーの権利の中心をなすものと考えられてきた「女性の、妊娠を終了させるか否かの決定」権の保障は、連邦最高裁判所の一連の諸判決により、次第に骨抜きにされ、今日では、その「基本的権利」性が否定されるまでに至っている。こうした、妊娠中絶決定権としてのプライバシーの権利の「危機的状況」に鑑みると、判例において、憲法上のプライバシーの権利の発展を期待することはきわめて困難な状況にあり、また、それに対応して、学説上も、当該権利の限定的な把握が支配的となりつつある。そこで、本研究では、妊娠中絶権を広く個人の生殖の自由の一環として把握し、従来の憲法上のプライバシーの権利の議論を包摂しつつも、それに代わる新たな枠組を提示する学説に着目し、その今日的意義と課題を検討してきた。こうした考え方には、なお多くの解明すべき点があるように思われるが、現状では、一定の評価が与えられて然るべきであろう。今後とも、引き続き、その理論的課題を検討してゆくこととしたい。
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