1.文書偽造罪を特徴付ける基本概念は「文書」及び「偽造」である。近時、この二つの概念は、拡張的に理解される傾向にある。このことを端的に示すのが、近時の所謂「明大替え玉受験事件」である。そこでは、大学入試に際して作成する答案が「事実証明に関する文書」に当たるとされる一方、(下級審における傍論ではあるが)志願者の承諾に基づいて他人が答案を作成しても「偽造」に当たると判示されたのである。 2.この「文書」及び「偽造」概念は、いずれも、理論的には、文書偽造罪の保護法益から演繹されなければならない。そこで、基本的研究として、比較法的見地から、保護法益の再検討を行った。 3.この法益は、日本では「文書に対する公の信用」と解されているが、日本法の解釈に強い影響を与えたドイツでは「文書による法的取引の確実性と信用性」だと解されている。しかしドイツにおける理解も、歴史的には、ローマ法以来の「文書に対する公の信用(publica fides)」という解釈に由来することが、様々な資料から跡付けられた。このように、日本もドイツも、基本的には同じ解釈状況にあるといえるが、「文書に対する公の信用」という概念は曖昧だと言わざるを得ない。そこで、法益の内容を明確化する必要がある。その際には、典型的な文書偽造行為により、個々人の如何なる利益が危胎化されるかに着目した上で、刑罰の威嚇により保護すべき「利益」は何かを解明しなければならないと思われる。これに似た考えは、近時、ドイツでも有力になっている。 4.そこで、この観点から研究を進めた結果、「文書に特有の機能(意思伝達機能と証明機能)を利用しようとする、文書受取人の期待」に着目することで、法益の再構成が可能になるのではないか、という見通しを得ることができた。 5.近い将来、この観点から、更に法益概念を精密化した後に、それとの対応において、「偽造」概念、次いで「文書」概念につき、新たな解釈論を提示できるように思われる。
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