本研究は、アメリカにおける特殊相対論の受容の経緯を、G.N.Lewis、R.C.Tolman、P.W.Bridgmanという3人の物理学者の対応を例にとりながら明らかにしていくことを目指したものである。ただし、本年度は、期間や調査範囲の関係から、特に3人のうちでも、Bridgman(18882-1961)に対象を絞らざるを得なかった。結果的にみれば、この選択は的を得たものであったといえる。Bridgmanによる相対論理解の試みは、明確に分かっている限りでも1914年には開始し、その後1961年の死の直前まで続けられており、長期間のうちに、他のさまざまな物理理論との照合のうちに練り上げられたものであった。 本年度得られた最も大きな成果は、Bridmanが提唱し、1930年代から1950年代に至るまで、アメリカを中心に幅広く議論を呼んだ操作主義が、彼が相対論を理解するために行った論考の直接の産物であったことが確認された点にある。Bridgmanの相対論に関する論考は、実質的には、一般相対論への疑問から開始され、最終的には特殊相対論でアインシュタインがとった(とBridgmanの考えた)認識論的な立場から、一般相対論の不備を突くという形に落ち着いている。この過程の中で、Bridgmanは、特殊相対論に見られる操作的な発想法を主軸に据えて物理理論全般を再検討するという企図に思い至るが、それは後に1927年の『現代物理学の論理』の出版へと結実するのである。 以上の通り、本研究においては、当初見込んだ通り、アメリカにおける相対論の受容に関する包括的な描像を得ることはできなかったが、相対論によって引き起こされた科学思想史上の変容に関して、きわめて興味深い一例を掘り起こすことができたといえる。
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