脳の中で海馬と呼ばれる部位は記憶形成に重要である。この海馬神経系においては、記憶の分子メカニズムと考えられる長期増強(LTP)現象が認められる。一方、扁桃体は情動を司る脳部位である。私は以前の研究において、扁桃体を破壊すると海馬のLTPが減弱することを発見した。この結果は、扁桃体が海馬LTPを制御していることを示す初めての知見であり、情動によって記憶がコントロールされるメカニズムを研究するよいモデルになると思われた。本年度の研究では、この現象についてより詳細な解析を行った。扁桃体は幾つかの神経核から成りそれぞれ異なった役割を担うことが知られているので、各神経核の電気刺激または破壊の影響を調べることにより、海馬LTPへの関与を検討した。まず、基底外側核(BLA)または基底内側核(BMA)に単発刺激を与えると海馬歯状回においてシナプス電位が誘発された。一方中心核(CeA)または内側核(MeA)に刺激を与えても誘発電位は観察されなかった。このことから、特にBLAとBMAから海馬歯状回への神経連絡があることが確認された。次に、BLAまたはBMAの破壊により海馬LTPは減弱したが、CeAまたはMeAの破壊は海馬LTPに影響なかった。さらにBLAまたはBMAへ高頻度刺激を与えると海馬LTPの形成が促進された。BLAを破壊した動物においても、BMAの高頻度刺激によって海馬LTPが促進されたので、これらの神経核はそれぞれ独立して海馬LTPを制御していると考えられた。以上の成果から、扁桃体の中でも特にBLAとBMAからの神経投射によって海馬LTPが制御されていることが明らかとなった。BLAやBMAは情動の中でも恐怖や驚きといった負の感情に関わることが知られているので、BLAやBMAによる海馬LTPの制御は、「恐怖や驚きを伴う体験を覚える」ことに役立っているのかもしれない。
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