本研究は、さまざまな思想潮流が対立し、また、相互に転化するといった錯綜した様相を示す昭和前期(戦前期)思想史の中心的な問題連関を解明するという課題を掲げ、そのための基本視角なり方法論を探るという目的をもって行われている。そのさい、研究を導く方法的な仮説として、〈宗教批判〉という問題視角を導入し、検討を加えることとした。宗教問題の意義は、広く近代日本人の思想形成を考えるときに中心的なものとして位置づけられるが、とりわけ昭和前期における、例えば西田哲学をめぐるアカデミズム内部(三木清なども含めて)の動向や雪崩的な転向現象や新興宗教(当時「疑似宗教」と貶せられた)の叢生など、当時の思想・文化の諸事象について、その相互の連関とそこに働いている論理を解明しようとするとき、宗教問題とくに宗教批判の視角からする分析がきわめて有効と考えられる。 こうした見地のもとに、本年の取り組みとして、具体的な検討対象として三木清および彼をめぐる宗教論争を取り上げ、その思想的な意義の解明を試みた。そのなかで従来、宗教肯定論と批判された三木の宗教論が、彼自身にとって「唯物論の現実形態」として、〈宗教批判〉の性格をもっていたこと、しかし彼の批判者たちは、三木の宗教論をもっぱら宗教擁護・宗教の永遠性の主張と性格づけ、断罪のための根拠としたこと、その結果、皮肉にも、「あらゆる現実批判の入門」としての〈宗教批判〉の遂行は、皮肉にも無神論を呼号したマルクス主義者によってではなく、むしろ三木清によって担われたことを指摘し、その展開と挫折を分析した。
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