1998(最終)年度の研究課題は、(1)山形県村山地方で補足資料を収集すること、(2)岩手県西磐井地方で比較資料の所在調査をおこなうこと、(3)明治31年〜昭和28年まで(50年間)の簿冊を解読しデータ・ベースを構築すること、そして、(4)70年間の死亡数、死因、疾病の波動を統計的に描きだすことであった。 (1)については、「庶務関係簿冊」のなかに若干の記録が見出されたので収集することにした。(2)についてはめぼしい成果を上げられなかったが、市町村史編纂者から和賀郡内の元医家宅に、明治10年代のカルテが保存されているとの情報がえられた。機会を見て閲覧交渉をしたい。(3)のデータ・ベース構築については下記の通り。 1) 50年分の原資料のうち、複写可能な年次の簿冊を紙焼き(コピー)する。 2) それに基づき、不鮮明な年次はマイクロフィルムから直接、記載事項を解読し、コンピュータに入力する。 3) このデータと前年度に構築したデータとをリンクし、明治17年から昭和20年までのデータ・ベースを構築。その結果、レコード総数は5.595となった。 4) 今年度に入力したデータのクリーニングは、研究費の絶対額が少なかったため、すべて私費でまかなった。現在までに全体の2/3程度まで終了。 上記のようにデータ数が膨大となり、当初目指した統計処理にまで到達できなかった。しかし、点検中に通覧してみると、1)昭和期になっても乳幼児死亡数が多いこと、2)現代とくらべ死亡年齢が低いこと、3)全国的な流行病の影響がデータ上に現れていること、4)初期には、今なら完治するような病気(炎症、胃弱、風邪など)で多数が死んでおり、カタル性の病気は60年間にわたり優勢であったこと、5)出寄留が多くなり、都市や外地(中国、満州、朝鮮)で、従来経験しなかった病気や事故での死亡が記録されるなど、多くの事実が明らかとなった。
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