平成9年度科学研究費補助金による研究成果は、英国ルネサンス期演劇と「黙劇」(dumb show)の関連性を身振り学的視座から解明したことである。じゅうらいの近代初期の英国演劇研究は、Dieter MehlのThe Elizabethan Dumb Show(1965年)を除いて、黙劇を本格的に検討してこなかった。しかもMehlの研究においても、黙劇の起源と構造をたどったうえで、エリザベス朝・ジェイムズ朝の演劇における黙劇の様態を記述しているにすぎない。 本研究では、黙劇におけるさまざまな「身振り」をめぐる表象(representation)と再現(re-presentation)のダイナミックスが、Shakespeareの劇作品をはじめとする英国ルネサンス期演劇のなかでいかに変容していくかに焦点を合わせた。たとえばHamletにおいては、劇全体の縮図ともいえる三幕二場で演じられる黙劇--The Murder of Gonzago--は、Hamletそのものが「身振り」をめぐる登場人物の解釈行為によって成立していることを物語る。なぜなら、Hamletは黙劇における役者たちの身振りを。宮廷人たちに恣意的に解釈・解説してみせるが、こうした解釈行為はHamlet以外の他の登場人物たちにもあてはまるからである。OthlloにおけるIagoもHamletと同様に、黙劇のプリゼンター(presenter)の役を演じ、DesdemonaやCassioの身振りを恣意的に解釈・解説し、Othelloの欲望(嫉妬)の装置を作動させる。 以上のように本研究は、Shakespeareの劇作品をはじめとする英国ルネサンス期演劇においては、舞台上で役者の身体が作りだす身振りとその意味が、黙劇や同時代の寓意図像集(emblem book)で表象されているような安定した関係を保ちえなかったことを解明した。
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