研究概要 |
継続研究の初年度である本年は、化学兵器禁止条約の定める、化学兵器禁止機関の査察員による秘密の漏洩に対して、同機関が責任を負わないとする規定の背景と問題点について、主として化学兵器禁止条約の起草過程と、化学兵器禁止機関準備委員会の関連資料とを中心に研究を行い、その結果、以下の諸点が明らかとなった。 機関の無責任に関する規定は、1989年に軍縮会議・化学兵器特別委員会で起草された「秘密情報の保護に関する附属書(案)」(CD/952,Appendix I,p.70)に起源を持ち、その後この附属書(案)がほとんど議論されることなくの同名の附属書となったものである。機関の査察員(職員)が行った違法行為に対して機関が責任を負わないとする規定は、国際機関においては誠にユニークな規定であるが、機関が責任を負うとすると、同機関は産業秘密に絡む極めて多額の賠償の支払いを義務づけられることにもなりかねず、さらにそれは、最終的には機関の構成国たる条約加盟各国の負担となるものであることから、交渉過程において諸国が機関の無責任を規定することを希望したのである。 しかし、その結果、査察員による秘密漏洩によって生じた損害に対して、被害国が法的な救済を求めることは、極めて困難なものとなった。このような損害に対する事実上の救済のための一つの方策として、損害が発生したときのために一定額を積立方式でプールしていくことが考えられるが、機関の構成国にそれを義務づけることは、機関の無責任という原則と両立するか疑問である。また別の方策として、民間の保険への加入が考えられるが、これも機関の無責任という建前からして、機関の予算から保険料を支払うことを法的に正当化することは困難であり、結局は関心国の集団が自発的に供出する資金によって保険に加入するほかないように思われる。
|