北河内地域の路傍祠調査結果の地理学的情報システム(GIS)による整理・プレゼンテーションにより、路傍祠の実体的事柄は、一方では、現在までの文明に支えられているが、他方では、それを表面的現象、仮の姿として眺め直すとき、文明を貫くものとして、「もの」の非存在化の装置という側面があるという知見が得られた。文明は、「もの」を存在化する方向で発展してきたが、路傍祠は、「古式に則る」という言い方が示すように、それに対するアンチテーゼである。路傍祠は、信仰的装置であることは明らかであるが、その自明性に留まるのではなく、その根本、すなわち「信仰」とは何か、その文化的意義は、何かということに立ち戻ると、それは、アンチ文明的事柄であるという観点が浮かび上がる。つまり、「もの」として分け隔てることは、「もの」の特定の性質に着目してのことであり、「もの」の「全て」、「もの」そのものという観点からではない。文明とは、新しい「もの」の生産に支えられるという観点に対し、その差違化を否定する観点の実証的モデルとして路傍祠を意味付けることができる。たとえば、灯明としてローソクが電灯に置き換わりつつあるが、ローソクは時間が経てば燃え尽きて消える。ローソクの特性として「照らす」ことにだけに着目すれば電灯で代替可能であるが、ローソクの「時間が経てば燃え尽きる」という特性に着目すれば、電灯によって代替可能ではない。現在では、環境問題に端を発して省エネルギーが言われ、電灯をこまめに消しましょうということが言われる。この点においては、ローソクが、電灯に代替可能なのである。また、しめ縄においては、一年も風雨にさらされれば腐り落ちる。それをプラスチックのようなもので代替すれば、そういうことはないが、そういう例は見あたらない。なぜか。それは、需要量が少ないということもあるが、一つには、環境破壊をもたらすからであろう。この点において、縄は、プラスチックに代替可能である。これらの知見は、さまざまな言語的(文化的)意味とそれに対応する実体的要素との関係を問う環境デザイン的観点を基礎づける。
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