2010年度の研究目標は、簡略に言えば、近代日本における<修養>の目的または手段として説かれた<人格>概念が、青年論を語る上でいつ、どのように、誰によってとかれ始めたのか明らかにすることにあった。そこで、まずは近代日本における<人格>概念が、どのような分野においていつ登場するのか特定する必要があり、その結論を心理学・法学において1890年代に登場したと結論付けた。次に、青年を論じた論説においてその<人格>がいつ、どのように登場したのか調査した。その結果、青年論においては「学生風紀」や「煩悶青年」が問題化された1900年代に<人格>が用いられ始めたが、そこでの<人格>とは近代概念の様相を帯びつつも前近代以来の人物論であったのがその内実であったことを突き止めた。これらの成果は、2011年10月に早稲田大学において開催された教育史学会第54回大会にて発表した。以上の研究結果から、<修養>を史的に考察するためには、1900年代という近代日本における青年論の転換点をより重点的に考察する必要がせまられることになった。具体的には、1900年代というのは学校や会社、法律といった一般的理解での近代化が一定の到着地点をむかえただけでなく、自己を形成するときの核となる概念の近代化が急速に進んだ時期である。ゆえに、この時期に「心の病」として誕生し社会的問題として騒がれた「煩悶青年」、そしてその「煩悶青年」と<人格>および<修養>との関係を考察する必要がある。そこで1900年代前半の「煩悶青年」をめぐる言説を分析し、その結果、「煩悶青年」に向けて説かれた<人格>や<修養>は、実は青年を煩悶させるのに必要な概念であったことが判明した。この成果は、2012年10月に京都大学において開催された教育史学会第55回大会において発表し、その内容を活字化した論文を同学会機関誌に投稿した(現在査読審査中)。
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