本年度は2年目に当たる。原田信男著『中世の村のかたちと暮らし』(角川選書、2008年)の新刊紹介を行い、『史学雑誌』118編6号に掲載された、また杉出厳・児島貴行・佐藤雄基・十河靖晃の各氏と共に『永原慶二著作選集』全10巻(吉川弘文館、2007~2008年)の書評を行った。私の担当分は序文と、第1巻・第7巻の解説である。 学会活動としては、2009年6月に、大阪歴史学会大会の個人報告として「隅田一族一揆の構造と展開」という発表を行った。本報告では、隅田荘関係文書の史料的性格の解明という基礎作業を行った久留島典子氏の研究を前提に、紀伊国伊都郡隅田荘における隅田一族一揆の内部構造と、その歴史的展開を追究することを目的とした。 本報告では特に、先行研究で隅田一族一揆の中核と見なされてきた葛原氏の存在形態について再考した。葛原氏を隅田一族における惣領家的な存在と捉える通説を批判し、葛原氏が上田氏や小西氏などと結んで集団指導体髄によって隅田一族を主導していたことを明らかにした。しかも葛原氏は、隅田一族一揆においても「廿五人の地頭」の一員という立場から脱却することができなかったことを指摘した。報告内容を大阪歴史学会の機関誌『ヒストリア』に投稿し、掲載が決定した(掲載号未定)。 これに関連して、「隅田家文書」原本を調査した。応永22年9月の隅田一族定書は、連判者の署名および花押がそれぞれ異筆と見られ、連判者が各々、自らの手で署判を据えたと思われる。ただ、連署部分と年月日の部分との間に大きな余白がある点がやや不審である。本文と日付との間に大きな余白を取っておき、その余白部分に後から署判を据えていった結果、余白が残ってしまったのであろうか。 更に2010年3月には、中世史研究会において、吉田賢司氏の拙稿に対する批判への反論として、「室町期の守護と国人」という報告を行った。当日は吉田賢司氏にもお越しいただき、議論の応酬を行ったので、単なる研究報告ではなく公開討論会の性格をも併せ持つ会であった。
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