レフ・トルストイとエミール・ゾラの文学は、それらの包含するリアリズムに関わらず異質であるが、作品を書く姿勢には共通性が見られる。特に19世紀後半という同時代に執筆されたトルストイの『アンナ・カレーニナ』とゾラの『獣人』には、構造的にも共通する面があり、いずれも、鉄道が中心的モチーフとなっている。そうした観点加ら、本研究では、両作品を比較・分析することで、19世紀後半という時代の象微ともいうべき新たな文明と人間との関係、文明的人間に対する作用、またその関係に対する作家と立場を明らかにすることを目的とした。 『アンナ・カレーニナ』と『獣人』に共通するのは、文明、或いはそれに適応して生きる者の内に潜む獣性であり、人間がその犠牲となる様が描かれる。前者では、社交界による、そこから放逐されたアンナに対する無関心が描かれ、後者では、ゾラ特有の擬人法により、鉄道付近で生活する人々、乗客、列車自体の無関心が強調される。こうした無関心とは、人間を進歩する社会の秩序に合わせて変貌させ、適合し得ない者は追放する「獣性」に他ならない。進歩に適応する過程で、人間は自分の内部に潜む獣性に無関心となり、そのさらなる肥大化を招く。ゾラの用いた「火のイマージュ」、トルストイの「百姓の形象」に込められた「火」の形象は、進とそれが内包する「獣性」の象徴とも考元られる。 両作品においては、文明と野蛮の対比による同時代の社会批判が行われており、著しい社会の変化に即応し得ず、新たな環境との間に齟齬や軋轢を来たしている近代人の姿が浮き彫りにされている。しかしながら、読者が全く異なる印象を受けるのは、描写の視点の違いによる。ゾラは、機関車の前進によつて象徴される文明と、その流れに取り込まれる人々を描くことで、トルストイは、鉄道に象徴される社会や文明に潜む獣性に適応できない、或いはそれに抵抗する個人を描くことで、社会批判を行うのである。 トルストイとゾラの比較によって、これらの文学の共鳴性と差異が明らかになったこと、文学における文明論的地平が大きく広がったことに、本研究の意義があると考える。
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