トルストイの作品がフランス語に翻訳されると、ドストエフスキーの作品と共にフランス文学界に大きな影響を与えることになった。ゾラもまた、トルストイの影響を受け、例えば『壊滅』には、『戦争と平和』の反響が見受けられ、『四福音書』にもまた、トルストイと共鳴する世界観が見出される。これに対して、都市や鉄道を舞台とするゾラの作品は破壊的描写が際立っており、一見するとトルストイとは異質な世界観が支配的であるようだ。しかしながら、トルストイが概して文明や進歩に反感を抱き、ゾラは進歩に好意的であったにもかかわらず、二人が描く文明空間には、共通する世界観を見出すことが可能である。例えば、『アンナ・カレーニナ』とほぼ同時期に書かれ、ロシアでも好評を博した『パリの胃袋』には、ブルジョワ批判、民衆・労働大衆に対する共感、都市と農村の対比的描写、強者と弱者の関係の描写に、トルストイの描写との共通性が多いに感じられるが、そうした描写がテクスト上における比較研究の対象となることはなかった。さらに、『アンナ・カレーニナ』と『獣人』においては、鉄道が中心的モチーフとなっており、その軌道が包含する社会的要素はいずれも暴力性を秘めているが、この両作品に関しても比較研究が行われることはなかった。今年度の研究においては、『戦争と平和』と『パリの胃袋』の比較分析に基づき両作家が描き出す都市空間の共鳴性と異質性を明らかにし、『アンナ・カレーニナ』と『獣人』の比較分析に基づき、社会的暴力性を孕む鉄道の軌道のイメージを浮き彫りにする試みを行った。これによって、トルストイとゾラの比較研究という領域に新たな可能性を付与することができたと考えている。
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