本研究は、大正中期から昭和初期において、行政国家化が進展し、省庁間のセクショナリズムが激化する中で、政党内閣がそれをどのように統合しようと構想し、それらがどのように失敗していったのか解明することによって、政党内閣の脆弱性を明らかにしようとするものである。この課題に応えるために、本年度は、1、政党内閣と逓信省との関係性の変容、2、政党内閣下における技術官僚の動向、の2点について重点的に研究を進めた。1については、政党内閣期に逓信省で最重要の課題であった通信現業員の待遇改善問題に着目し、国立国会図書館や逓信総合博物館などで史料収集を行った。その結果、次の点が明らかになった。当初は現業員待遇改善費の予算計上に理解を示していた政党内閣が、昭和恐慌が進展する中で、その費用を大幅に削減するようになり、逓信省内で政党内閣への反発が強まっていく。また、部内の労働運動に対しても逓信省は早期に対策を行っていたにもかかわらず、浜口・第二次若槻内閣によって官吏減俸や人員整理が行われると、労働運動が頻発するようになる。このような危機的状況に直面した逓信省では、政党内閣に従業員の待遇改善の必要性を認めさせ、その経費を増額させるという従来の路線は放棄され、事業の増進や合理化を進め自前で待遇改善費を捻出することが志向されるようになり、通信事業の特別会計化が本格的に検討されることになった(1934年に実現)。また、2については、政党内閣期に活動を活発化させた技術官僚の諸団体(工政会、工学会など)に着目し、東京大学工学部などで史料収集を行ったが、まだ十分に史料が集まっていないため、具体的な成果を出すまでには至っていない。来年度の課題としたい。なお、本研究による成果を踏まえたうえで、博士論文を作成し、東京大学に提出した(2008年12月)。
|