本研究は、現代作家サミュエル・ベケット(1906-1989)、マルグリット・デュラス(1914-1996)、ナタリー・サロート(1900-1999)の作品を分析対象に据え、三作家による多分野(小説、劇、映像等)に亘る「声」の表現の探究の独自性とその複雑な相互関係を、厳密な作品分析に基づいて解明し、文学における「声」の問題の重要性を明示することを目的とする。本年度は、言葉とイメージの関係を作家たちがどのように捉え、かれらが共通して、(1)なぜ抽象的な声の表現を必要としたのか、(2)かれらがいかにして声を(あるいは声をともなう言葉を)表現し、それがなにを可能にしたのか、以上の二点を基軸に、これまで個別に行った作品分析の成果を下地にした考察を展開した。かれらの作品を全体的かつ具体的に辿ると、言葉によるイメージの表現には(テクストであれ、映像作品であれ)、共通して、言葉への強い執着と紙一重の懐疑が出発点としてあり、それが、かれらの作品に、断片的で輪郭の不確かなイメージを、頻度を高めながら繰り返させる。この点に着目し、(1)そこにどのように声の問題がかかわっているのか、(2)書かれたテクストにおける声の扱い方と、劇や映画における物質的な声を扱う実験的試み、これら異なる声へのアプローチが、いかなる共通の一貫した意図によって進められたのかを明示し、(3)さらにはその意図が、晩年の作家たちを、いかなる声のエクリチュールに向かわせたのかを、とりわけ自伝的・伝記的要素の独特の組み込み方に着目しながら分析した。この過程に、作家ごとの表現方法の変遷と、その差異を明確化することで、かれらの作品が、いかに必然的なかたちで記憶の問題に結びついているのかも明らかになった。 「声」の問題は、アウシュヴィッツ以後の世界ゆえに生じた問題として検討する視点が立てられるが、本年度は、ジャック・デリダやモーリス・ブランショの声にまつわる議論の再検討を詳細に行うことで多くの示唆を得、戦後文学という時代性のみに思考を還元せず、エクリチュールと記憶の問題に根底的にかかわる問題として、声にかんする哲学的な考察をより自由に展開できる足場ができたため、作家たちの試みを単純化することなく、より広い視点からとらえなおし、かれらの文学のありかたを通して、文学とはなにかを問い直すことができるようになった。 学術振興会の研究員に採用され、補助金を受けることで、研究指導の委託の制度によって、パリ第八大学のブリューノ・クレマン教授のもと、フランスでの研究を進めることができ、また、これに付随して、フランス国立図書館およびフランス国立視聴覚研究所(INA)、そして、イギリスのレディングにあるアーカイブでのベケットの映像資料の調査を行うという、日本ではできなかったことが可能になり、非常に大きな意義があった(費用は学術振興会の研究遂行費でまかなった)。非常にコーパスの広いテーマ研究であるため、補助金交付期間終了後も、引き続き、残された課題を遂行し、発表していく必要がある。期間中、研究資料のひとつであるデュラスの短いテクストの翻訳を水声社刊行の『水声通信』(28号)にささやかながら寄稿することができた。また、日本での資料調査のために一時帰国した際には、指導教官からの提案を受け、所属する大学院フランス文学科の修士以上のすべての学生・研究者を対象に、本研究にかんする四十五分間の発表をする貴重な機会を得た。さまざまな時代・作家を扱う専門家たちを対象に、一般的かつ専門的な内容の発表を行ったことで、テーマ研究のひとつの可能性を打ち出すことができた。以上の翻訳および発表は、学会や雑誌への公の研究発表ではないため、項目11の欄には未記入だが(なお、同じ理由から、帰国費用は私費によった)、個別作家研究が主流の日本の研究者たちに、テーマ研究の可能性、重要性をうったえることができたという意味でも重要な意義を持ったと考えている。今後、より正式な形での発表を行うことを強く希望している。
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