私は、1980年代にポーランドから西ドイツへ移住した作の文学を創作言語によって分けて論じるのでなく、その生成・発展過程に注目して論じたいと思っている。私が注目する作家たちは、ベルリンの壁の崩壊に始まる一連の変化とともに、故国喪失者から越境者となった人々であり、ドイツ永住を決断した場合でさえ、静態的・固定的な定住としての移住生活を送るわけではない。彼らは90年代以降、狭義の移民像からの脱却を試み、今日では生まれ故郷とも移住地とも関係を保ちながら執筆活動を続けている。移住時期に成人していた彼らが、母語で創作することは不思議なことではないが、彼らが90年代以降、もはや「移民文学」「国外のポーランド語文学」といった独自のジャンルを形成しようとしなかったことは注目に値する。彼らの作品は、テーマ・形式・プロットの統一の断念、あからさまな剽窃、パフォーマンスといった、90年代のポーランド語文学に共通する特徴を持っている。それらの特徴は、文学とそれ以外のテクストを区別する慣習を放棄し、文学に対する系譜学アプローチや、現実/仮象という対立を無効にした。こうした「混淆の文学」において、唯一「当座の秩序」をもたらすのは一人称語り手の存在である。1976年から80年代にかけて書かれた、一人称形式の語りによるポーランド語文学と、90年代以降のメタフィクションでは、一人称形式の語りがもつ方向性は全く逆である。ハンブルク在住のポーランド人作家ルドニツキは、ドイツ・ポーランド間を頻繁に行き来する作者と同姓同名の一人称語り手を用いて、評論ともエッセイとも言えないテクストを執筆する作家である。彼の名を知らしめたのは、「ハンブルクからの手紙」と題された連載であった。「手紙」という題名や、処女作「人生なんてこんなもの」で用いられるテープレコーダーに録音された物語という設定が目指すものは、単なるリアリズムではなく、「〈わたし〉語り」の客体化である。すなわち、ルドニツキの文学は、「証言」「記録」として読もうとする読者のまなざしを語りへ内在化するメタフィクション文学である一方で、われわれ読者が見知らぬ移民の物語を「盗み聞く」状況を演出することで、「不在の他者」の物語としての「〈わたし〉語り」を展開しているのである。やり方は異なるものの、「不在の他者」による物語は、80年代後半ポーランド文学のトポスとなった、ドイツ=ポーランド国境地帯の文学にしばしば見られる手法である。第二次世界大戦後のグダニスクやシチェチンを舞台にしたそれらの小説において、テクストとは、一人称語り手個人の記憶の糸を紡ぐことによって生成されると同時に、歴史の現在として生きられる記憶そのものである。たとえば、グダニスクの作家ヒュレの処女作「ヴァイゼル・ダヴィデク」は、ポーランド人の一人称語り手が、生まれ故郷グダニスクで起こった、ひと夏の出来事を回想する物語である。ユダヤ人の少年ヴァイゼルとともに過ごしたその夏、見慣れているはずの土地は未知なる世界へ変貌する。夏の終わり、忽然と姿を消したヴァイゼルは、記憶が語られる現時点においては、「不在の他者」として回想という行為に加わっており、「ヴァイゼルが僕らをどこかで操っているような気がしてならない」という、おそれに似た感情を、一人称語り手の中に呼び起こす。肝心なことを思い出せなかったり、つじつま合わせのために嘘をついてしまったりする一人称語り手は、記憶を「欠陥の集合体」として語ることによって、「現在を生きるわたし」という、単一の視点から過去を物語ることの限界を指し示す。このように、物語の中で繰り返し語り直されるグダニスクは、現存する地域としてのグダニスクではなく、多層的な語りのテクスト(パランプセスト)となっていく。
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