本研究の目的は、哲学者R・G・ミリカンの固有機能理論に対する批判的検討を通して、人間の自然的側面と文化的側面の関係を解明する統一的理論を構築することである。固有機能理論は、進化論的観点に基づき、生物の器官・特質をはじめ、心や言語など様々な対象に対して連続的・統一的な説明を与える理論である。本年度は人間の文化的側面の重要な構成要素である慣習(convention)と道徳をテーマにして研究を行った。 まず、慣習に関する哲学的理論として広い影響を持つD・ルイスの慣習理論を取り上げ、心の哲学における解釈主義の主張を援用することで、ルイスの理論が合理的行為者としての人間に特有な仕方で生じる慣習のあり方を捉えていることを明らかにした。続いて、ミリカンの提唱する「自然的慣習(natural convention)」の概念が、それとは大きく異なる慣習のあり方を描き出していることを示した。自然的慣習概念は合理的推論に基づいて成立するルイス的慣習概念と、盲目的な行動によって成立する進化ゲーム理論的慣習概念との中間に位置しており、人間の文化的側面と自然的側面の双方を併せ持つ慣習概念なのである。 さらに、様々な慣習のあり方をめぐる考察を踏まえた上で、道徳と慣習はどのように異なるのかという問いを取り上げた。具体的には、道徳に関する感情主義・相対主義を採るJ・J・プリンツの道徳理論に注目し、道徳の文化相対性を認める枠組の中で、道徳と慣習の区別や道徳のもつ独自性がいかにして確保されうるのかを検討した。 以上の研究が持つ意義として次の二点が挙げられる。まず、慣習と道徳の多様性・相互関係を、進化論的観点を踏まえて精査していること。そして、固有機能理論の枠組を慣習や文化進化、道徳といったテーマに適用していること。特に、後者のような研究は他に類を見ず、ミリカン哲学の可能性を示す上で意義深いものであると言える。
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