2008年度史学会大会・近世史部会シンポジウム「山里の社会史」における口頭報告を文章化した。論文では、村落秩序と山用益との関係を村内の空間構成に即して整理し、(1)谷の入り口に展開する田地(下田)、(2)検地で耕地として把握された谷内の山谷田・畑、(3)北側の共有山(座の地蔵講山と、村全体の財政基盤となる村山)、(4)南側の百姓持山(初期から個別百姓によって所持された持山と、当初は共有山林であったものが、18世紀以降公事屋百姓に対して分割された「公事家山」)に区分した。また、近世中期以降、山谷田が果樹・茶畑に変わり、それが村境の曖昧な村山地面に及ぶことで惹起した隣村との山論を取り上げ、谷筋耕地における果樹畑・茶畑の展開と村落構造変化の関係を論じた。2007年度に執筆した修士論文「泉州泉郡平野部における相給村落の構造と変容-池上村を素材に-」の一部を個別論文「近世泉州泉郡平野部における水利と生産-池上村の輪作を素材として-」にまとめ直し、投稿した。論文では、主に条里耕地の広がる平野部特有の水利のあり方や、そこで行われた稲作・綿作の輪作慣行の特質について検討した。また、修士論文の内容を振り返り、伯太藩領池上村の村落構造に関して、追加検討を進めた。伯太藩が領有する無人別の村請制村(池上出作)の成立段階と変容過程の構造について、博士論文の全体構想での位置づけを考え、全面的に再検討した。2010年3月末、韓国慶北大学で開催された韓国嶺南文化研究院・大阪市立大学大学院共同コロキウム「近世韓日地域社会比較研究」にて、日韓の在地社会比較と日本の村落構造の紹介を兼ねた口頭報告「近世の村落社会と在地支配」を行った。
|