本年度は、まず、前年度の明治20年代前半のバイロン言説の検討を引き継ぎ、明治20年代後半、特に北村透谷の自殺以降の『文學界』同人のバイロン言説について考察した。『文學界』同人は、透谷の死を、厭世的バイロン熱の帰結と捉え、この<死に至る病>をどう総括するか、という問題に、各々のやり方で取り組んだわけであったが、この事実は、ちょうどこの頃バイロンが共感の対象から克服の対象に変わってきていることを示すものである。このことを明らかにできたことで、バイロン言説史という大きな流れの方向性を把握することができた。また、これに続く明治30年代のバイロン言説として、高山樗牛のそれを検討し、彼が国家・国民という集団的自我を重視する日本主義の立場を鮮明にした一時期に、個人的自我詩人としてのバイロンを否定している事実を突き止めた。この樗牛のバイロン否定は、前年度に検討した、個人的自我主義としてのバイロニズムを集団的自我主義としての日本主義に直截的に結びつけた木村鷹太郎のバイロン肯定とは対照的であり、バイロニズムとナショナリズムの関係性について考える有効な視点を、改めて得ることができた。さらに、それ以降の明治末期・大正期・昭和期のバイロン言説を洗い出す中で、昭和10年代の林房雄のバイロン受容が持つ問題性を発見し、その考察も行なった。林は、マルクス主義から「勤皇の心」に<転向>する過渡期に、「浪曼主義」としてのバイロニズムの積極的な受容を試み、小説『壯年』において、純粋と不純が絡み合うバイロンの二面的なイメージを基に、明治日本の文明開化の理想と現実を描き出そうとした。林のこの、バイロン受容を通して日本の近代化の問題に迫らんとする試みは、具体的なありようは違えど、同じく昭和10年代にバイロンに非常な関心を示した阿部知二のそれと共通するものがあり、<バイロンと近代日本>という問題を考える上で有意義であった。
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