本研究は、八重山地域を中心とした集落移動の事例を各種の歴史資料を中心としながら整理し、近世〜近代にいたる時期の集落移動の全体像をとらえたうえで、それを基礎としながら近世・近代に移動の行なわれた西表島祖納・石垣島安良集落の調査を行い、移動の実態と旧集落の復元、移動前・移動後において、空間の特性、ひいては空間観・環境観がいかに引き継がれたかを明らかにすることを試みた。 その結果祖納村では、古地図等の分析と現地調査から、すでに1863年頃には現在の村の位置に番所を中心とする村が存在し、旧集落からの移動が比較的ゆっくりと行われ、移動前には御嶽(後)→本家→分家(前)という空間認識が存在したが、移動した地域の地形や空間認識の変化から本家(後)→分家(前)という原則のみが引き継がれたことが明らかになり、一方、石垣島において唯一、集落移動に関する具体的痕跡が残された廃村・安良村では、『北木山風水記』の記述と現地調査から、この村は風水判断後に「可移居之地」として指定された場所に建立された村であることが確認され、移動前の村についても、各種資料の分析から、津波前の村が津波後70m近く山側に移動し、高山の近くの風水上良くない場所に村建てをした様子、さらには1864年以降に再度、移動した事実を確認することができた。
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