今年度は、1996年度に行った予備調査、すなわち明治14年(1881)発行の『いろは新聞』の分析結果を踏まえ、同年の代表的小新聞(こしんぶん)四紙、『いろは新聞』『東京絵入新聞』『読売新聞』および『朝日新聞』を対象に語彙分析を試みた。まず、前年度では三号分までサンプルの入力をした『いろは新聞』について、一年間の祝祭日発行号、合計6号分を入力し終えた結果、同一紙における各号の差は小さく、一つの号でほぼその年の傾向を代表できるとの結論を得た。そこで同年2月11日紀元節の号を取り上げて、小新聞四紙の比較を行った。 記事の件数と長さでは、駆け落ちや心中事件などを扱った続き物と呼ばれるノンフィクションの「人情記事」が、最低の『読売』で三割、最も高い『朝日』の場合には七割を占めた。これは続き物が小新聞の特徴であったという記述を数量的に裏付けるとともに、各紙によりその比重がかなり異なっていたことを示す。品詞別のべ語数では助詞が約三割、普通名詞が約二割強、動詞が約一割強と多く、また異なり語数では、普通名詞が約二割強、動詞が約二割、固有名詞が約一割弱を占め、品詞別の構成は各紙ともほぼ同じであった。これは当時の小新聞がある共通した安定した文体を用いていたことを示唆する。次に小新聞のふりがなをと漢語の浸透度を調べるため、普通名詞の中の漢字二字の漢語に注目し、そのふりがなの字音と字訓を分類した。その結果、字音ふりがなが約6〜7割、字訓ふりがなは2〜3割で、各紙でややばらつきが出た。また、動詞における字音漢語「〜する」という語の割合は、『いろは』393号の4.7%から『朝日』597号の12.3%まで幅があった。さらに小新聞における漢語の位置を明確にするために、『いろは新聞』の漢語を、当時の代表的な漢語辞書の一つ『音訓新聞字引』(明治9年)と、日本最初の国語辞書『言海』(明治24年)の記述を比較し検証する試みを行ない、いくつかの興味深い例を得た。今後は以上の成果を踏まえ、同時代の大新聞との比較を行い、また明治二十年代にかけての変遷を調査する予定である。
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