研究課題/領域番号 |
09410098
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研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
植村 泰夫 広島大学, 文学部, 教授 (40127056)
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研究分担者 |
利光 正文 別府大学, 文学部, 教授 (20105563)
金子 肇 下関市立大学, 経済学部, 助教授 (70194917)
小尾 孟夫 広島大学, 学校教育学部, 教授 (10033507)
曽田 三郎 広島大学, 文学部, 助教授 (40106779)
寺地 遵 広島大学, 文学部, 教授 (60033487)
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キーワード | 植民地支配 / 植民地間分業 / 第一次世界大戦 / 米 / モノの移動 / 農村経済 / 東南アジア世界 |
研究概要 |
植民地支配の深化した19世紀後半以降の東南アジアでは、島嶼部で輸出向け生産の開発が進み、そこで不足する食糧を供給するために大陸部の下部デルタで米田が大規模に開発され、植民地間分業体制が成立したとされてきた。しかし、例えば1910年代〜20年代の大陸部東南アジアの米輸出データを検討すると、ラングーン米輸出の70%以上がヨーロッパ・インド向け、シャム米ではヨーロッパ向けが20%を越す年がある、サイゴン米の東南アジア向け輸出は多くて1/3程でありむしろ東アジア向けの方が多いなど、大陸部の米にとって島嶼部東南アジアの意義は全面的なものではなかった。しかし、逆に島嶼部から見ると、例えばこの時期のインドネシアでは米消費量のほぼ10%程度を大陸部からの輸入に依存しており、第一次世界大戦末に船腹不足、インドその他で発生した旱魃による凶作の影響で輸入が大きく減少した結果、たちまち深刻な食糧不足に陥った。これらのことは、分業体制とは従来考えられてきたような相互依存的なものではなく、大陸部が有利な立場にあり島嶼部の依存が強いものであったことを示している。また、植民地期大陸部東南アジアの農村経済を規定する要因として、ヨーロッパやインド、東アジアにおける食糧事情も重要であったということができよう。このように、近代の東南アジアに視座をおいて見た場合、地域間の関係は従来言われてきた以上に複雑であり、今後、米以外のモノの移動をも視野に入れて東南アジア、東アジア、南アジア、そしてヨーロッパをめぐる貿易の構造とその歴史的形成過程を再検討すること、さらに近代においても「東南アジア世界」という枠組みが有効か否かを考えることが必要であろう。
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