国家形成史上、中央の権力が地方支配を強めたとされる「『雄略朝』期」(5世紀後半)について、吉備という一地方を対象に、古墳を主とした考古資料の検討からその実態を復元した。具体的には、この時期の吉備地域における古墳のデータを集成し、また二つの古墳の発掘・測量調査を行うことによって吉備地域の「『雄略朝』期」における首長墓の築造パターンや内容を分析し、その動向を具体的に捉えた。 結果として、5世紀後半の吉備地域では、造山・作山などの巨大前方後円墳を核とした大形古墳群の造営が終了したあと、そのやや縁辺ともいえる各地域に中規模の前方後円墳を主体とする首長系譜が顕在化することが見て取れ、これが西日本に共通したパターンであることが判明した。また、そうした古墳の内容の検討から、この動きは中央による地方支配の強化の反映というよりも、古墳自体の社会的変質を示すものであるとの結論に達した。さらに、この社会的変質を反映する古墳の内容変化を明らかにするために、岡山県真備町天狗山古墳の測量・発掘調査と、岡山市・総社市の夫婦塚古墳の測量調査を行った。天狗山古墳では墳丘や外表施設・埋葬施設の調査によって、社会的に変質していく時期の古墳において旧い要素と新しい要素とが併存する具体的状況や、新しい要素に朝鮮半島などからの外来の影響が見て取れることが明らかになった。 以上の作業から、「『雄略朝』期」の古墳の動きが示す変革の内容は、中央による地方支配が強化されるという政治的側面よりも、国際関係やそれを刺激とする文化の変革もたらした社会的側面をより直接的に反映している可能性が強まった。さらに、政治的側面も含めたこの時期の動態をより具体的に捉えるためには、首長墓以外の小古墳の検討が必要であるとの展望的結論を得た。
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