ヒッタイト語粘土板資料のなかでも言語学的観点からみてもっとも重要なヒッタイト法律文書には、u-e-mi-zi「彼は見つける」KBoVI2IV12、i-e-zi「彼は行う」KBoVI2I60というシングルのzを持つ形式が記録されている。これらの形式は、アナトリア祖語の段階で^*-diという語尾を持っていたと考えられる。この^*-diは、前ヒッタイト語の段階で、^*-tiという語尾が破擦化を蒙って^*-tsiになったのと同様に、やはり破擦化して^*-dsiになった。これと類似した破擦化がアナトリア祖語の段階にも生じたことが、今年度の研究によって明らかになった。 ヒッタイト語sarazziia-「上の」、リュキア語hrzze/i(<^*-tio-)などの例から、印欧祖語の^*tがアナトリア祖語の時期に^*iの前で^*tsになったことは間違いがない。これと同様に、印欧祖語の^*dも^*iの前で^*dzになったと考えられる。この破擦化の根拠となるのは、ヒッタイト語のsiuna「神」<^*dieu-(cf.ギリシア語Ζευζ、サンスクリット語dyauh)という形式である。^*iの前で^*dからつくられた^*dzは語頭で閉鎖性を失い^*zになった後、一般的な語頭の無声化によって、さらに^*s-になった。同様の破擦化と閉鎖性の消失と語頭の無声化は、ヒッタイト語のsiuatt「日」<^*diuot-(cf.楔形文字ルウィ語^dtiwaz「太陽神」)にもみられ、この場合は前ヒッタイト語の時期に^*iの前で生じた。 以上の分析から、印欧祖語の^*tと^*dはともに、アナトリア祖語の段階で^*iの前で破擦化を受け、また前ヒッタイト語の段階で^*iの前で破擦化を受けた点で、まったく並行的な変化を蒙ったと考えられる。
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