弾道電子放射顕微鏡(BEEM)は走査トンネル顕微鏡(STM)を拡張したもので、表面の内部をナノ・スケールの空間分解能で調べることのできる有力な実験手段である。本研究では、昨年度に引き続きBEEMの理論的な研究を行った。おもな研究成果は、(1)原子スケールでの電子の輸送現象を曖昧さ無しに議論するために、STM探針から表面のブロッホ状態へのトンネル確率を正確に計算する方法を新たに開発したこと、および、(2)この方法を用いてトンネル電子の運動量分布を計算し、実験で観測されているBEEM電流の原子スケールでの変化の一因として運動量分布が重要であるということを理論的に示したことである。(1)については、電子の透過率を計算する際に、従来は、波動関数の境界条件を平面波に取ることが多く行われてきたが、これでは、透過確率が表面原子の周期ポテンシャルと漸近的な平面波の領域との間にできる人工的な界面の深さに強く依存してしまって、正確な透過確率を得ることは困難である。そこで本研究では、周期的境界条件を用いずに散乱計算からブロッホ波を構成する簡便な方法を新たに開発した。それは、平面波の境界条件を用いた散乱計算から完全系を構成し、伝達行列を対角化することによって得られる。そして(2)では、この方法をSTM探針からAu(110)の再構成表面へトンネルする電子の運動量分布の計算に応用し、STM探針の原子スケールの変化とともに運動量分布も数%変化する結果が得られた。さらに、この原子スケールでの変化を決める重要な要因は、STM探針からトンネルする電子のビームの真空領域での幅と表面の格子の周期のとの大小であることがわかった。
|