研究概要 |
本年度は,明治期日本技術の形成およびヨーロッパ技術の導入にあたって,重要なファクターとなった工部省の工業教育関連を分析した。工部省は,集知のように工学察を設置し,工部省の政策推進のための技術官更を養成し,この工学察が日本で最初の近代的な技術者養成機関となった。 この工部省工学察の技術教育の歴史的位置づけに関して,以下のように評価することが重要である。 (1)工部省のヨーロッパに教育導入方法としては,H.Dyarプラント従来評価されていたDyarのプランには,イギリス的な方法と大陸の方法が含まれている。 (2)大陸的方法は,イギリス自身としても,目指す一つの目標としてあったが,実は日本には,幕府下の横須賀,學舎でその基本形態が導入されていたこと。したがって,工学察でのDyarの導入は,2度目の導入であること。 (3)この間の事情は,一たん幕府下で導入されたのが,政治体制の変化によって,そのままでは根づかず,体制が変って,再導入されたものとして,本会体制と工学,技術の関連から再評価されるものであるべきこと。 (4)この過程で,政治は,社会的ファクターが,日本の技術・教育に強く影響を及ぼした。 (5)その例として,鉱山治金教育一典型としてみられる。
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