1 前2年間の研究を継続して、井上哲次郎の「東洋哲学史」研究の歩みとその学的背景、その学的特質を明らかにすることを目指した。 2 井上哲次郎(1855〜1944)の陽明学研究とその学的立場を明らかにするために、三島毅(中洲、1830〜1919)と、東正純(沢瀉、1832〜1891)・東敬治(正堂、1860〜1935)父子の学的歩みとその立場とを対比して、検討を試みた。 (1)三島中洲と東沢瀉とは世代を同じくし、倶に幕末から明治維新の激動期を生きた陽明学徒として知られ、共通面を有しながらもその生き方は対照的である。それは日本の陽明学のあり様を検証できる手掛りとなり得る。 (2)井上哲次郎は東正堂と世代を同じくするが、井上は明治の新制度の中で学び留学もして日本の講壇哲学の形成に指導的役割を果たしたのに対し、東正堂は野に在って陽明学を標傍したもので、極めて好対照の歩みであった。ただ井上は東の主編する陽明学関係雑誌『王学雑誌』『陽明学』にも接点を持っており、井上の『日本陽明学派之哲学』の学的特質についてその数学的側面には、東の陽明学の提唱と共演するものが認められる。 (3)三島中洲の日本儒学把握の視点には、井上哲次郎の構想に共通するものが認められる。 (4)とくに(1)(2)(3)については、その研究成果の一端を次の通りに口頭発表した。 ・「中洲と沢潟と巽軒」(シンポジウム「三島中洲-伝統と継承」、平成11年10月9日、二松学舎大学) ・「三島中洲と東沢瀉と井上巽軒」(上智大学学内共同研究「明治期における精神文化の発達に関する研究」研究会、平成11年10月26日)
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