平成9年より11年の三年間の研究により、アショーカ王時代に起こった破僧をめぐる仏教僧団の変容過程が一層明らかとなった。すでにその前から、このような変容が起こったという事実は指摘していたが、その仮説を今回は説一切有部の網要書である『婆沙論』の記述と比較することにより、有部という特殊な動きをした部派が、この事件をどう解釈していたかを明確化することに成功した。あたかも有部がアショーカ王に反発して独自の教団を形成したかのように読めるこの『婆沙論』の記述は、従来の研究においては合理的な解釈が全く与えられていなかったのであるが、今回提示した仮説を基盤として、有部が自分たちの権威を損なわないように事件の経過を改竄したと想定しながら読むと、それは極めて合理的な文脈を持つことが明らかとなるのである。これで南方上座部の歴史書Dipavamsaと、有部の網要書『婆沙論』の両方の記述が、ともに私の仮説と合致することが確認され、仮説の妥当性がかなり高い確率で実証されたことになる。しかもそれが仏教の多様化をもたらす原動カとなったことは確実であるから、これをもって、アショーカ時代の歴史的一事件と、大乗仏教の発生という重大事件とが直接連結されることとなった。つまり、なぜ大乗仏教が生まれたのか、という問題に対する一つの回答が示されたことになるのである。
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