ジャイナ教の造像美術の自立性(autonomy)をめぐる問題を解明するため、初年度は先ず<聖なる集い>(samavasarana)の図像資料及び文献資料の収集に努めた。図像資料としては各種写本の細密画や奉献板(ayagapata)のレリーフなどの写真図版を集め、また文献資料としては裸行派の文献を含む貴重な諸資料を新たに入手した。図像資料を整理・検討すると、<聖なる集い>の五尊形態は、奉献板に見られる一尊形態とチャトルムカの四尊形態との複合化によって生み出されたものと推定できる。また一尊のみの奉献板のレリーフは、もともと<聖なる集い>を主題としていた可能性が高い。複合的な構造を持つ<聖なる集い>の図像が仏教のマンダラと歴史的にどう関わっているかは、今後究明されるべき図像学上の大きな問題である。文献資料の解読は、従来より進めて来た一連のAvasyaka文献のほか、新たに入手した裸行派の文献(Adipuranaなど)についても開始した。Avasyaka-Niryuktiについては(かねてW.Bollee教授からの勧めもあり)語彙索引を計画中であるが、本研究ではとりあえず同文献中の"Samavasarana-tract"についてデータ入力を行なった。ジャイナ教の祖師像の自立性は、「一切知者(sarvajna)の話者性」というインド思想史上の問題と密接に関係すると思われるので、本研究者はこの方面のテキストや研究論文なども可能な限り参照し、また機会をとらえて他大学の研究者との意見交換も行なってきた。問題を究明する過程で、図像上の自立性と古代インドの「牟尼」(muni)の伝統との関連性に着目し、牟尼の伝統と新たに生まれた沙門(sramana)との関係が問題を解く一つの鍵ではないかとも考えるに至った。現時点では次のような見通しを得ている。1)常に蓮華座で瞑想するジャイナ教の祖師像は、「黙して語らない」古代インドの牟尼(muni)の伝統を受け継いでいる。2)これに対して、「説法印」を結ぶブッダの像(例:サールナ-トの初転法輪像)は、そのような牟尼の伝統から見れば明らかな「逸脱」である。3)沙門道(sramanya)の出現は、開悟者にも説法という世俗的行為を容認する新たな宗教伝統の出現を意味し、これが必然的に一切知者あるいは離貧者(vitaraga)の話者性の問題を惹起させた。4)マハ-ヴィーラも、ブッタと同様、沙門であり、真理の説示者であったが、図像上は瞑想形でのみ示され、そのために文献上の祖師ジナ(説法するジナ)との不一致を生んだ。また、あくまでもジナの直接的な説法を否定し続けた保守的な裸行派と、人間的な言語によるジナの説法を認めようとした白衣派との間の対立をも生んだ。5)古代インドの牟尼道(mauna)は、新興の沙門(sramana)によって包摂されたが、ジャイナ教では造像のレベルでの表現の多様化を頑なに拒否し、それによって牟尼の超俗性を保持しようとしたと見られる。
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