独立運動後の状況に対する総督府の思想的課題としては、朝鮮人の民族主義に基づいた独立意識をどうすべきか、そして如何に朝鮮人を同化していくかがあり、この課題に対して、(1)朝鮮民族の現状自覚と実力養成、(2)世界大戦後の西洋の物質文明の限界、(3)それに対して明治維新後、世界強国に成長した日本における東西融合文明の優越性、(4)過去の朝鮮における立派な文化の存在、(5)日韓併合の人類文明史上の意義、などの主張が出された。 そこには、併合による植民地支配の不可避性や必然性を説明するための差異化の論理がある反面、共存共栄を主張するための同一化の論理もある。たとえば前者については、主に政治の腐敗や不正や事大主義が挙げられ、支配階級の政治的責任とその意識を問う一方、後者の共存共栄の可能性については、朝鮮人の儒教的道徳意識と地方の儒教的共同体(郷約や契)の存在が注目され、その再構築が推進された。これらの論理は、地方制度・教育制度が改正、実施されるなかで、多くの現地調査や文献研究によって学問的にバクアプされていく。 このようにして構築される学問観としては、(1)精神文明と物質文明をそれぞれの特徴とした東洋思想と西洋思想という範躊設定、(2)東洋思想としては主に儒教・仏教、(3)西洋思想では、功利主義・個人主義・共産主義など、(4)そして東洋思想の中の朝鮮思想の位置付けなどが挙げられる。ただここには、雑誌「朝鮮」の性格とともに、東洋文明と西洋文明の融合したその精華としての文明史観的日本認識があることを指摘しておきたい。なお、朝鮮の歴史・宗教研究のなかで取り上げられた史料には、未だ再照明されないままのものも多く、解釈と主張には研究者自身の当時代認識を反映する側面もあり、これらの追跡作業は、他の団体や民間発行雑誌の事例確認作業とともに、今後の課題となる。
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