本研究の目的は、近代中国における子ども観の形成過程を歴史的、社会的に分析し、当時の子ども観の諸相を明らかにし、それを通して、近代中国における人間の在り方、家族、社会の特質などを逆照射することにある。研究対象となる清末民初より1940年代までのうち、平成9年度は、主に以下の内容について考察、分析した。 清朝末期、列強の脅威にさらされ、国民国家形成に向けて、始動のときを迎えた中国では、“子ども"が将来の国民の芽、小国民として、かつてない注目を浴びる。子どもを愛国小戦士と見なすこの子ども観は、それまで家族血縁集団の枠組みに閉じ込められていた“子ども"を社会的存在と見なす点で、近代的な意義を有する。しかし、国家形成の担い手という大人に有用な“子ども"を求める功利性は、大人中心の価値観に拠る伝統的、儒教的な子ども観と連続している。このような大人本位の子ども観に対し、五四時期、“子ども"の個性を尊重し、総ての中心に“子ども"を置く児童中心主義のより近代的な子ども観が紹介され、文化、教育界を席巻する。さらに20年代には、大人に支えられ、育てられるものとしての“子ども"を注視し、“子ども"を女性解放の枷と見なし、育児の社会化と“子ども"の社会性を強調する児童公育論が登場、旧来の伝統的な家庭中心論、新伝統主義的な家庭改革論に対峙する。こうして多様化した子ども観は、30年代になり、それぞれより本格的な展開を見せ、中国独自の特徴をもつにいたる。次年度は、多くの“子ども"が家庭を失い、戦乱と貧困の中国大地に投げ出されていく30年代後半を含め、家族の“子ども"と社会の“子ども"、育ちゆく“子ども"と育てられる“子ども"などの視点から、当時の子ども状況、及びそこに見られる子ども観について分析を進める。
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