清朝末期より抗日戦争開始後の1940年初めまでを主要対象として、近代中国における子ども観の社会史的研究を行い、以下のような考察結果を得た。 1.当該期間における子ども観の史的展開に関する理論化を進める枠組みを析出した。 家族と宗族のための子ども観「家の子」、民族社会の構成員としての「民族の子」、国家の構成員としての「国の子」の三つの要素の組み合わせにより、近代中国における子ども観は構成される。五四時期に「人類の子」を目指す人類主義の子ども観も登場したが、人類主義の観点は、他の三つの要素と共存し、そこに含まれることもある。「家の子」を構成する家族と宗族の要素は分離され、それぞれ別に機能する。清末以来の歴史的展開は、「家の子」を土台にして(肯定或いは否定)、「民族の子」を構築し、最終的に共産党政権による「国家の子」に集約された。 2.当該期間における子ども観の思想史的意義、及びその影響についての見解を得た。 「未来の主人公」から「現在の小主人公」へと進行する子ども観の展開のなかで、現在を切り開く力として子どもの社会的力が認識され、歴史形成の主体としての子ども観が生み出された(近代中国における子どもの再発見)。現在の構成員としての資格を奪う「未来の主人公」、現在の構成員と見なす「現在の小主人公」はともに、現在の構成員としての資格を奪い、子どもを現在の主体である大人の望む人間モデルに育成する結果を招く。二つの子ども観は、国共両党の児童工作の違いを生み、子どもの組織化、戦闘力の発揮は、抗日戦争終結後の内戦、国家建設に関わる重要な要因にもなった。時代と地域、権力からの自立性をもつ子ども観の構築は、子ども観の問題ではなく、時代と社会の枠組み、制約を越える価値観を人間がいかに獲得し、創造していけるかという大人と子どもが共有する社会的課題である。 3.当該期間における子ども観の考察を通して、抗戦期における家族、子ども、社会のあり方に関する理解を促進した。
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