本研究においてわれわれは、近代日本の哲学思想の歴史の中で「京都学派」と呼ばれるグループの本質を、そこに含まれる哲学者たち相互の人間関係を通して解明した。この場合「京都学派」とは、創始者・西田幾多郎、その後継者であり、かつ激しい批判者でもあった田辺元と、京都帝国大学哲学科において両者の教えを受けた哲学者たちを指す。 研究のテーマとして、われわれが「京都学派」の「哲学」ではなく、彼らの「人間関係」を選んだのは、「京都学派」とは、(「学派」の名にも関わらず)「創始者」の思想を祖述・継承・発展させた「組織」でも「系譜」でもなく、むしろ、師弟たち相互の間にゆるやかに生まれてきた、知的・人格的・学問的なネットワークにほかならないと考えたからである。したがってそこでは、各人がたがいに刺激し、啓発し合い、かつ自己の個性を十二分に発揮しながら、自己独自の哲学をおのおのの分野において形成していった。そしてその中心に、西田や田辺が存在していたのである。 しかしこれは、未だわれわれの「仮説」にすぎず、「実証」されなければならなかった。一九九五年、「京都学派」最後の哲学者と考えられる下村寅太郎が死去した後、その遺品の中に、このテーマに関わる膨大な資料が発見された。未発表の西田、田辺らの手紙、田辺や下村あての受信書簡、下村の未定稿・未発表原稿、日記、手記、ノート等々である。われわれはこれらの整理・複写・分類等の作業に携わり、その読解を通じて、最初の結論の正しかったことを認識するに至った。 本報告書には、以上の作業から得た若干の知見と資料の一端が収められている。
|